2018年04月27日 5月例会 5月の講師は詩人の丁章さん。無国籍在日サラムという「抵抗者の視座」から見える世界とは。 カテゴリなしの他の記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 mukai 2018年06月08日 22:10 ホッブス、ロック、ルソーなど、学生時代に自分の在り方や世界との関係を知りたいと手にした本を今また読み返しているという丁さんは、自らをそう呼ぶ「無国籍の在日サラム」を、「国家と対峙する抵抗者」と位置付ける。そして、「人間を幸福にするために発明されたはずの国家が、人間の幸福を侵害していないか?」と問いかける。自然権=人権を持つ個人として生きるために、「北でも南でもない統一された朝鮮となっても、軍隊を保持するのかしないのか。保持する国の国民となるのは自分が望むことなのか」と考えざるを得ないという発言は、国や国民といった形を越えてあるはずの反戦主義、平和へ寄せる思いの強さを感じるものだ。 「国民であることが、国籍を持つことが、本当に幸せなのか?」「国民であることが当たり前すぎて、“自然人のもつ抵抗権”への意識の低下が、世界的な潮流としての現状を招いているのでは」といった丁章さんの警鐘は、ともすれば“国民”であることに安住し、困難な現状すら無意識に肯定し流されてしまいがちな一人であるに違いない私にとって、とても刺激的だった。 参加者の一人からは「無国籍ということ、歴史と共に考えさせられました。たまたま生まれて国籍があると言うこと。確かに考えてなかったかもしれません。昔ほど日本がずっと続いていくのかは分からない時代になったなと。戦争についてきちんと向き合わない日本はまた戦争を考えはじめている」との感想があった。 コメントフォーム 名前 コメント 評価する リセット リセット 顔 星 投稿する 情報を記憶
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「国民であることが、国籍を持つことが、本当に幸せなのか?」「国民であることが当たり前すぎて、“自然人のもつ抵抗権”への意識の低下が、世界的な潮流としての現状を招いているのでは」といった丁章さんの警鐘は、ともすれば“国民”であることに安住し、困難な現状すら無意識に肯定し流されてしまいがちな一人であるに違いない私にとって、とても刺激的だった。
参加者の一人からは「無国籍ということ、歴史と共に考えさせられました。たまたま生まれて国籍があると言うこと。確かに考えてなかったかもしれません。昔ほど日本がずっと続いていくのかは分からない時代になったなと。戦争についてきちんと向き合わない日本はまた戦争を考えはじめている」との感想があった。